山下金彌
国立音楽大学卒業(昭和38年)ヴァイオリン奏者として東京交響楽団、群馬交響楽団に所属。
その後フリーで読売交響楽団、東京フィルハーモニー等でのオーケストラ活動後、福井に戻る(昭和48年)
昭和51年より仁愛女子短期大学音楽学科にて教鞭をとり、学生課長、音楽教育センター長を歴任し平成18年3月退職。
8回のリサイタルを福井と金沢で開催すると共に子弟の指導に成果を上げる。
平成27年福井県文化協議会「文化芸術賞」を受賞。仁愛女子短期大学名誉教授。
1.田舎の少年に突然手渡されたヴァイオリン
山下先生がヴァイオリンに取り組むきっかけなどをお話しいただけますか。
私は昔、永平寺のふもとにあった、志比谷村(※)で育ちました。
そんな田舎でヴァイオリンに関わるなんてありえないと思われてもしょうがないですが、
小学校3年生の時に、担任の先生が学校に頼んで
「ヴァイオリンを3台購入したから誰かやらないか」
と言ったんです。
ところがその担任の先生は社会科の先生で音楽に関する知識もなく、
指導もないまま結局みんな挫折して私だけが続けてました。
私の父は、理科とか物理の教員だったので音楽の事はさっぱりでしたが、
福井師範生時にヴァイオリンという世にも美しい音色の楽器があると先生から聞かされ、
息子がそのヴァイオリンを弾くとなって、俄然乗り気になりました。
音の長さとか技術的なことは、父が本を読んで教えてくれて、
私は言われるがままやってたと思います。
そのうち自分でも音楽の理屈が分かるようになって、
変に自信がついてきて見様見真似でやっていました。
※当時の福井県吉田郡にあった村。現在の永平寺町
私の家の近くに青山楽器(※)の工場があり、父がそこの社長さんがヴァイオリンが弾けると聞きつけ、早速挨拶に伺って教えてもらう事が出来ました。
工場の中で楽器の部品を作っている音を聞きながら、社長である青山政雄さんが弾き方を教えてくれました。
私にヴァイオリンを弾いて教えてくれた最初の先生です。
ヴァイオリンなんていうのは、小学校低学年までに基礎を覚えないとだめな楽器です。
当時の福井の田舎ではあまり縁のない楽器でした。
そんな時、見知らぬおばあさんが、
「近所の親戚を訪ねてきたが泊めてもらえない。おたくも遠縁にあたるから泊めてもらえないか」
と訪ねてきました。
夜も更け田舎なもんで周りは真っ暗。
追い返すわけにもいかず、そのおばあさんを一晩泊めてあげる事に。
おばあさんは東京から来ており、自宅に戻って御礼のはがきを送ってくれたんですが、
父が「これだ」ってことで、そのおばあさんを頼って上京する事になったんです。
父は中学生だった私を連れて東京に向かい、布団屋を営んでいたおばあさんの家に私を置いて、
日帰りで福井へ帰っていきました。
そんな感じで、いきなり東京での下宿生活が始まる事になりました。
※現在は日本で唯一ハープを製造する青山ハープ株式会社