2.学校には来なくて良いからヴァイオリンを弾いてなさい


 そんな突然!中学生の山下少年は戸惑ったでしょうね。

 私が通う中学校の担任は、富山出身の方で
 「私は東京芸大の美術を3回落ちて、進学できないつらさを知っている。
 学校には来なくてよいから家でヴァイオリンの練習をしなさい」
 と言われました。

 毎日下宿先でヴァイオリンの練習を6時間から7時間。
 クーラーも暖房もない6畳の部屋でひたすら練習の毎日でした。
 とにかく藁をもつかむ気持ちで、時間をかけるしかありません。
 もちろん、その家には他の家族も住んでいましたが、特に文句は言われませんでした。
 というのも、私の実家は農家をやっていて米はありました。
 毎月下宿代として3,000円と米10キロを送っていて、
 当時の食糧難の時代ずいぶん助かっていたみたいです。
 福井から送られた米は売ってお金に換えて、安い外米を買って食べてました。


《高校受験当時》

 レッスンの先生は、当時有名な芸大の鬼束龍夫先生です
 毎週水曜日の3時からのレッスンが厳しくて、毎回泣きながら帰っていました。
 当時のレッスンを受けていた他の生徒もそうでしたね。
 高校進学は、東京芸大附属高校は間に合わず。
 国立音楽大学附属高校に進むことが出来ました。