5.演奏者として(指導者時代)
1984年春に帰国し、少しずつ演奏活動を始めました。
まず敦賀市で帰国リサイタルを開き、岐阜県などのキリスト教会で歌わせていただきました。
また、1年後には親友でドイツでは伴奏などで助けてもらっていたディートリッヒ・クラパートさんを敦賀に呼び、ジョイントリサイタルを開き、シューマン作曲「詩人の恋」を演奏しました。
大学時代にお世話になった岡田晴美先生より、オーケストラとの共演の機会を与えてくださり、アンサンブル・アルカディア、関西フィルハーモニーとオラトリオ、オペラアリアを演奏しました。
1986年から敦賀気比高等学校、1988年から仁愛女子短期大学音楽科に職を得て、
両校を兼務で務めながら細々と演奏活動を続けていました。
《敦賀でのコンサート、伴奏ディートリッヒ・クラバートと》
《関西フィルハーモニー管弦楽団名曲コンサート いずみホールにて》
そんな中、私を仁愛女子短期大学に呼んでいただいたのは坪田信子(※)先生でした。
当時、ウィーン国立音楽大学教授チャールズ・スペンサー(※)先生の講座を大学で行う際の通訳として呼んでいただきました。
チャールズ先生はその後、20年近く毎年大学で講座を持たれ、彼のピアノ伴奏で坪田先生とジョイント・コンサートをさせていただきました。
※坪田信子 声楽家。仁愛女子短期大学講師。仁愛大学名誉教授。2025年没
※チャールズ・スペンサー ピアニスト、伴奏家。後にウィーン国立音楽大学リート科教授
坪田先生は歌曲について深く研究しておられ、その造詣の深さは素晴らしく心から尊敬できる方です。
チャールズ先生とのご縁や、数々の演奏会をご一緒させていただいたことなど、私の音楽人生に多大な影響を与えてくださいました。
《坪田信子先生と》
歌劇の分野では、福井で活動する声楽家の仲間たちと「福井オペラ研究会(現:ふくいEオペラプロデュース)」を立ち上げました。
演出家として著名な中村敬一(※)先生をお呼びして「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」「泣いた赤鬼」などの演目を公演しました。
先生には舞台芸術における多くのことを学び、その後子供たちと共に作り上げているミュージカル公演に学んだことを発揮させていただています。
※国立音楽大学招聘教授、洗足学園音楽大学客員教授、大阪音楽大学客員教授
数多くのオペラの台本、演出に携わる
《福井オペラ研究会(現:ふくいEオペラプロデュース)によるオペラ「ヘンゼルとグレーテル」 福井市文化会館にて》
6.合唱指導者として
敦賀気比高等学校で7年間務め、その後、仁愛女子高等学校音楽科で音楽を志望する女子高生を指導しました。
仁愛女子短大では「ドイツリートの解釈法」「オペラ演習」「合唱」を指導しました。
音楽科全員の合唱では、学生たちと全日本合唱コンクールの出場を目指し、福井県大会を勝ち抜き、中部大会では銀賞を受賞しました。
仁愛女子高校では「音楽史」「ソルフェージュ」「合唱」を担当しました。
合唱指導としては、敦賀市にブルーメンコアーという女声合唱団を立ち上げ、一昨年結成40年のコンサートを開催しました。
また、第九合唱団の指導をさせていただき、福井第九合唱団をはじめ、県内で開催される第九公演にドイツ語発音法を中心に指導を行いました。
現在は小浜第九合唱団の指導をさせていただいております。
《女声合唱団ブルーメンコアの定期演奏会にて》
合唱活動として、運営面で福井県合唱連盟の事務局長、理事長を経験しました。
その時、他県の様々な合唱指導者たちと交流させていただき、合唱曲をはじめ指導方法や各県の事情など、指導技術だけでなく組織運営という点でも多くの事が参考になりました。
今、中学校や高等学校では合唱コンクールが行われています。
しかし、学校行事の精査や、指導の大変さなどから取りやめになる傾向にあると聞きます。
私は、全員で一つの作品を作り上げていくことは、学校教育において大切であると思います。
そのためには、指導する側の工夫、指揮法の技術向上などの努力も必要であると思います。
指導される側の年齢層やレベル、思いなどを熟知し、教材えらびをすることも大事なことです。